Japan medical and welfare association


「革新なくして、伝統なし」
脈々と受け継がれ、時代とともに進化する
780 年の歴史ある博多織
博多織の歴史から学ぶ「博多織の誕生」
博多織の歴史について
1235 年、満田彌三右衛門は、圓爾弁圓(えんにべんえん後に聖一国師)と共に宋(そう)へ向け博多を出発。
宋に 6 年間滞在し、織物、朱、箔、素麺、麝香丸(じゃこうがん)の 5 つの製法を修得し、1241 年に博多に帰ります。
彌三右衛門は、これらの製法を人々に伝えましたが、
織物の技法だけは家伝とし、独自の技術を加え、広東織と称していました。
さらに 250 年ほど後、満田彌三右衛門の子孫、満田彦三郎(みつだひこさぶろう)が
明(みん)に渡り、織物の技法を研究。
竹若藤兵衛(たけわかとうべい)と工法の改良を重ね、琥珀織のように生地が厚く、
模様の浮きでた厚地の織物を作り出しました。
竹若藤兵衛が織り出した織物は広東織からヒントを得たもので、地質が非常に硬いので、
反物としてより、帯として使われることの方が多く、寸法をや規格を創製しました。
これが博多帯の始めであり、その織物は博多の地名をとって、「覇家台織」(はかたおり)と
名付けられたと伝えられています。今から 480 年ほど前のことです。

筑前福岡藩初代藩主 黒田長政
慶長 5 年(1600 年)、黒田長政が筑前を領するようになり、徳川幕府への献上品として博多織を選び、
毎年 3 月に帯地 10 筋と生絹(すずし)3 疋を献上します。この品々を総称して「定格献上」と名付け、
博多織元に「織屋株」と称する特権を与え、保護という名の統制のもとで、藩からの需要のみを生産させ、
献上の風格と希少価値を厳重に保護していきます。
江戸時代の初めは、高級品の絹織物が主体で、生糸は全て中国からの輸入でした。博多織は帯地の他、緞子や生絹を織っていましたが、当時は帯地よりも緞子や生絹の方が世間に広く知られ、精巧な技術や味わいが特徴でした。
1750 年ごろには博多織屋は 12 軒が成立していたと伝えられています。
博多織は高級織物としての知られながらも、人気の急騰にもかかわらず、需要に応えることができず、西陣や桐生、
米沢などで「模造博多織」がかなり出回ることになります。
戦後の博多織業界の苦難について
江戸時代までは藩営、藩が公式に博多織していいと、その許された株が 12 件だったといわれています。
博多織屋の数は博多に 150 件ほどだったと記録されています。その年に企業整備令と、その当時は大東亜戦争中です。
物資が止められて、ABCD 作戦です。石油も止めた、鉄も止めた、そんな中での博多織屋さんは企業整備令というので国から強制的に 119 件やめさせられて、残ったのが 31 件と記録に残っています。それで私の爺さんも戦争に行って、幸い命があったものだから帰ってきて、何か働かないといけないと、自分で看板を上げて、サヌイ織物という会社が戦後にできたわけです。そういうなかで残った博多織屋さん 31 件が何をしていたかですが、帯を織っているわけにはいかないです。
もう戦時中ですから、それで国の命令によって軍服を織っていた、パラシュートの降下ベルトを織っていたと聞いています。現物が残っていますからやっぱりそうなのです。
そういう苦しい時期を乗り越えて、今年で 780 年になります。
先人からの伝統を受け継いで
讃井勝彦さんが考える「伝統的工芸品」とは
今の現代に使える日用品、というのが伝統工芸品です。
その先輩が考え、革新してきた、そのアップデートの連続なのです。
伝統的工芸品産業振興に関する法律というのがあるんです。
日用品であらなければならない、これはどういうことかなっていうのをずっとそれを考えて調べてみたら、今、全国に 235 種類、国指定の伝統的工芸品というのがある。そのすべての伝統的工芸品といわれているものが日常品なのです。
当時の生活の中での必需品です。生活のスタイルが変わっていくにつれて必要でないものは無くなってしまいます。
産業というのが大事で、やっぱり、今の生活に寄りそって、共に生きていくというのが伝統的工芸品なのです。だからいかにも昔ながらの昔の技術、それは民芸品なのです。
ただ、時代が鎌倉時代と江戸時代、昭和の時代と今の令和の時代と全然スタイル違います。
そこにやっぱり、アップデートをしながらその当時の最新の考え方を重ねていきながら
物は変わってきています。

讃井勝彦さんの「革新失くして伝統なし」の考えとは何でしょうか
伝統ってそれこそ時代時代の最新の考え方を上から乗せて、その時代に求められるものを作ってきたから続いてるんです。だから伝統なのです。
そこは一貫して変わらなく、革新の連続なのです。だから「革新失くして伝統なし」と言い続けています。
今の言葉でいうとアップデートです。常に上から技術を重ねていく、今の生活に合うものを作っていく。私は、吉田松陰の「夢なき者に成功なし」という言葉を大切にしています。
それは志のことなのです。
今後の博多織業界について
博多織が日常の当たり前になることを目指して
人々の生活に寄り添うことだと思います。
現代人のライフスタイルとか目まぐるしく変わっています。これはやっぱりGoogleやApple等が世界中を引っ張っていると思いますけど、特に最近速いです。そうしないと人々の生活に寄り添っていけないです。
取り残されていきます。
そのうちスマホでこれほしいなと思って画面にピッとしたら、一時間もしないうちにドローンがブーンって持ってきたり、そんな時代が来ます。
そうしたらドローンで発送するシステムかなんかを自社が持っておかないと、だから商品だけじゃないのです。売り方も、出荷の仕方も、もちろんそれを処理するコンピュータの知識なんかも含めて伝統的工芸品なのです。
そうやって時代に寄り添っていくものを作らないと取り残されます。うちは織屋だからといって織の技術だけ一生懸命磨いていても、誰も注目しません。
いい作品ができました、品評会に出します。品評会に出しても賞をとるだけの技術はもちろん必要かもしれないけどその説明力も含めて学ばないといけないでしょうし、だから物だけ作っている時代は終わりましたね。
間違いないと思います。

讃井勝彦さんが呉服業界の時代の変化で感じること
呉服業界でいったらカジュアルさだと思います。入学式とか卒業式とかに親が着物を着ていく、昔は授業参観でもやっていました。
着物は、昭和のスタイルだったし、今で言ったら、着物を着る人が少なくなりました。
それがやっぱ変わったんです。そんな時代で、ああいう高いものがまず売れない。今呉服業界が力入れているのがやっぱりカジュアルというとこです。値段は安いですが、着やすい、買いやすいもので広げていこうっていうところで力を入れています。
花火大会なんかは、逆に浴衣着たいという、若い女の子なんかは多いです。そういう人たちには、イオンモール等で買えば 4~5 千円で買えますけど、伝統的工芸品を使うとなかなかそういうわけにはいかない、何万円かしますが、伝統的工芸品が買いやすいものに少しずつ代わってきたと感じています。



